当院の豪雨災害時の状況と災害ボランティアに参加して

7月6日 19時頃 二河川と済生会呉病院

 平成30年7月西日本豪雨により、広島県は甚大な災害に遭いました。死者が100名を超え、私が住んでいる呉市では死者24名(行方不明1名)の方が亡くなられました。7月5日から6日にかけて断続的に降り続いた雨の様子は、院内で勤務している私には、外の状況が全く分かりませんでした。6日の勤務終了後、院内は慌ただしくなり、病院の目の前を流れている二河川の氾濫の恐れがあるため、玄関付近に土嚢を積み、1階の医療器具を2階へ運びました。7日の真夜中が満潮でしたが、幸い氾濫はありませんでした。当院の検査室には、坂町在中の職員1名がおり、安否が心配されましたが、6日の19時30ころ、検査室LINEで連絡がとれ、水尻駅前の渋滞で車が動かないと連絡がありました。まだ、その時は、水尻駅付近は土砂に覆われていませんでしたが、本人曰く、車のそばを物が流れてきたと言っていました。その後、土砂で埋まりましたが、危うく難は逃れました。2日間、帰宅困難者となりましたが、自宅は大きな被害がなく安心しました。

 被害の大きさは翌日の7日朝のテレビニュースの映像で知り、呉市周辺の尋常でない大きな被害で、その惨状に目を覆いました。私が住んでいる地域を含み呉市の大部分では、7日の午後から断水になりました。近くのホームセンターでは断水に備えてポリタンクや非常食を買い求める人であふれていました。交通機関は完全にマヒし、JR呉線は運行停止、広島呉道路、国道31号線は土砂崩れで全面通行止めになりました。物流は途絶え、コンビニ・スーパー からは物がなくなり、呉市は「陸の孤島」と化しました。矢野や坂から車で通勤する職員は、焼山、熊野ルートしかなく、渋滞で呉市まで3~4時間かかるため、朝4時から5時ころに出勤するほどでした。広島市から出勤している医師は、フェリーで通勤していました。7月12日には、通行止めとなっていた国道31号線は、ベイサードビーチ坂の駐車場を仮設道路とし解除されましたが、今現在も慢性的な渋滞は、解消されていません。病院業務に関しては、7月9日から本格的な断水となり、職員のトイレは、貯めておいた水溜にバケツで水を汲んで流していました。一部の検査や手術は延期などで対応しましたが、日常診療、検体検査業務は自衛隊や給水車のおかげで止まることなく稼働できました。私の自宅は7月13日に断水解除となり、約1週間ぶりの入浴、洗濯など、本当に生活水のありがたさがわかった1週間でした。

 断水が落ち着いて、7月21日に呉共済病院の柴田技師、林田技師と3人で、天応地区へ災害ボランティアに参加しました。柴田技師は先週の安浦に続いての参加で、林田さんは、熊本出身で熊本地震の被害で、何もできなかった自分が役に立ちたいという思いからの参加でした。私は以前,天応に住んでいましたが、幸いその地域は災害がありませんでした。車で、呉ポートピアに入り、駐車場には撤去された土砂と家財が山積みされていました。現地で受付を済ませ、10名1組で天応の大浜地区へ派遣されました。大浜地区は国道31号線を挟んで海側の地区です。私は土砂が国道31号線は超えていないと思っていましたが、床上くらいまで土砂が流れ込んでおり、改めて土砂災害の大きさを実感しました。私たちの作業は土砂で埋まった畑の土砂撤去でした。その場所は、道が狭く重機が入らないので、土砂をショベルですくって1mくらいの道幅を一輪車で重機が入るところまで運びました。土砂はドブと土の混在した独特な臭いで、表面は炎天下で乾いていましたが、内面は水を含んだ粘土のようでした。4時間近く休憩を挟みながら作業をし、畑の土が出るまで作業は進みましたが、私自身、思ったほど進んだ感じがありませんでした。それだけ土砂災害には、多くのボランティアと時間、労力が必要ではないかと感じました。 この度、身近で未曾有の災害が起き、災害ボランティアに参加して自然災害の恐ろしさを実感しました。災害に遭われて亡くなられた方のご冥福をお祈りし、1日も早い復旧・復興を願います。 (広報部 有谿俊一)